うろ覚えで語るゲーム Vol.1 「バンゲリングベイ」〜ゲームの中に広がる世界、という発見。もしくは世界観萌え〜

自分が初めてビデオゲームなるものに触れたのは、幼稚園のころだった。いくつのころかは覚えてないけど、多分幼稚園の年長組くらいからなんじゃないかと思う。
初めてのビデオゲームは当然というかファミコン。小豆色とクリーム色と金色のアレですよ。買ったというか買ってもらったのは自分ではなく四つ上の兄貴。初めてのソフトはゴルフと今回取り上げる「バンゲリングベイ」だった。たしか買った当初本体が初期不良かなにかでいきなり動かなくて、買ったイトーヨーカドーの人に直してもらってそれからまともに動いた記憶がある。

もうかれこれ20年以上も前のことなので、初めてファミコンがやってきた時のことや、はじめてプレイした時のことは全然覚えてない。でもこれだけはハッキリと覚えてる。幼稚園にいるときにも常に「指をピコピコ」させて先生に心配されるくらいゲームにハマってたことと、そのプレイしてたバンゲリングベイが(当時の自分にとって)割と退屈なゲームだったということだ。
「指のピコピコ」癖に関しては幼稚園の先生もそれを止めさせようとしてたのも覚えてるが、それはさておき。その「退屈なゲーム」のバンゲリングベイがどんなゲームだったかというと、

  1. 舞台は軍事基地を有した島々が散らばる海域。上から見下ろした画面構成
  2. プレイヤはその海域上の空母からヘリで出撃
  3. 操作は上ボタンが前進、左右ボタンが(進行方向に対して)左右への回転。ラジコンっぽい操作方法
  4. 武器は機銃と爆弾。機銃は空中の敵を撃つ。爆弾は直下の目標に投下
  5. プレイヤの任務は、島々にある軍事工場を爆弾で爆撃すること
  6. ヘリに積める爆弾には数限りあり、工場の爆撃(だいたい初期状態で8〜10個くらい必要)で使い果たすと空母に戻って補給しなければならない
  7. 出撃→工場爆撃→空母に帰還→補給して出撃→工場爆撃…を繰り返して、ステージ内の工場をすべて破壊すると次ステージへ進む
  8. 時間が経つと戦闘機が迎撃してきたり、戦艦が出来たりして襲われる。
  9. 撃墜されるとコントロールを失って墜落。海を赤く染める(そんな感じだったような)
  10. 音楽はステージ開始時のファンファーレと、ステージ中のマーチ風のベース音のみ

という感じ。飽くまで自分の当時の記憶(と、時々GoogleWikipedia両先生方)も頼ってるのでうろ覚えの部分があるけれど、概要としてはこんな風なはず。

当時は幼稚園児です。派手で分かりやすいのが好きです。自分は輪にかけてそうでした。というか今でもそんなんです。そんなジャリ公に上記のようなゲームが受け入れられるかどうか…否ーッ!*1
子供心に「基地を探して爆弾落として壊して、また空母まで戻って補給し手を繰り返すの、ツマンネ」と思いましたよ。「時間が経つにつれて工場の迎撃態勢が手厚くなってくるのでどの基地から攻めるかとかに戦略性が出てくる」とかって当時は分からなかった(し、それを知ったのつい最近ですよマジで)。でもだからといってせっかく家にやってきたファミコンで見た目的にはアクション要素皆無なゴルフだけプレイするという選択肢は幼稚園児にはないのも事実。
つわけで、「ツマンネ」と思いつつバンゲリングベイを遊ぶ日々は続くわけですよ。やっぱりそのままだと面白くないんで、微妙に工夫したり変な遊び方をしたりとかのアレンジを加えて。
とりあえず試すのは裏技。ちょこちょこ試したのは「海の上に着陸出来る」というやつだった。バンゲリングベイの海域は閉じた空間になっていて、上に飛び続ければループして下から抜ける(左右も同じ)という風になっている。この閉じた空間は球形と見なすことも可能なのだが、空母の裏側(日本で言うブラジルあたりね)の海上で着陸しようとすると海上に着陸できてしまうわけだ。子供的には海上にいきなり着陸できちゃうというのは笑える絵面でもあるし、(どっかの本で見たり誰かから聞いたりただけで自分で見つけた訳ではないにしろ)そういう「電子的に動いてるもののなかにわずかな綻びや奇妙な規則性を見つけること」が、当時の自分には快感だったんだなぁと感じる。
同じような感じだけど、バンゲリングベイの世界をただただぼんやりと飛んで、地形とか地上の建造物とかを眺めるというのも面白かった。それとその中街並みの中にヘリが着陸出来るところがあるというのもくすぐられたところだった。ブラウン管の中に街並みがあって、その風景が自分のコントローラの操作で変わっていく、というだけでも当時は楽しかったんだろうし、さらに隠れたオブジェクトとか規則性を見つけて*2、「自分がゲームの中の世界の様子を少しずつ把握していってること」を実感することも面白さの要素の一つだったと思う。


ここで余談だけど、バンゲリングベイの開発に関わった人で、ゲームのマップエディタから別のゲームの着想を得た人がいた。その人の名はウィル・ライトといい、出来たゲームが「シムシティ」。今でも連綿と続くシムシリーズの元祖がバンゲリングベイと知った時には驚いた。そして奇しくも、自分がスーファミの本体と一緒に買ったゲームはシムアースだった。


とまあそんな風にバンゲリングベイを自分なりに箱庭的プレイグラウンドに仕立てる、というのが当時の自分の遊び方だったわけで、そういう若干邪道な遊び方が出来るという包容力?というのも当時のゲームの特長なんじゃないかと思ったり思わなかったり。

で、上記の話の原型をツイッターに連投してた(下記の前日ツイートーまとめ参照)ときに気付いたんだが、自分が昔から今に至るまでゲームに対して「面白い!」「こういうのが好き!」と感じてツボに入るポイントというのは、「ゲームの中に世界が広がっている感じ」「ゲーム内の世界が奥行きを持っている感じ」なんじゃないだろうか。奥行きといっても実際の空間としての奥行きとしてというより、「ゲームの中の世界が実際の世界と同じように成り立ってて、地続きな部分がある(風に演出してある)んだ」とか、「ずっと同じ世界をぐるぐる回ってるのではなく、ちゃんとした広がりがあるように感じられる」とか、そういうわりと決まった背景を持った世界観がそこに感じられるゲームに自分は弱いんじゃないのかなぁ。
例えば、スーパーマリオをやってて、背景に浮いてる雲の位置が地面に近いことで、「あ、ここって高原とかの標高が高いところなのかな?」と気付くこと。
フォーメーションZで、進んでくうちに背景の山が少しずつ低くなって、遠くに海原が見えてくるところ。
スターソルジャーで、面が進むといきなり基地っぽい背景から大陸っぽい感じに背景が変わるところ。
ちょっと飛ぶけど、FF5の「北の山」(飛竜の谷でもよし)で清々しい下界の風景を一望できるところ。
そういうところが好き。
逆に「頭脳戦艦ガル」のような、敵しか変わらずステージの背景がある程度一定にしかならないのは全然ダメ。
でも、同じ「ガル」の地底ステージの分岐で自分の選ばなかった方の分岐の先に、(選んでから)何があるのかな…って妄想するのはすごく好き。

例えとして適切なのかわからないけれど、そういう(本来の意味ではないかも分からんが)見た目で世界観の広がりがわかりますよー的なお膳立てがしてあると、自分はいちころなのかも知れない。


つまり自分はゲーム性云々よりも、見た目とかのゲーム性と関係ないところでコロッと逝ってしまう、「世界観萌え」だったんだなぁと…

*1:どうでしょう風に、というか(仲代達矢のマネをする)大泉さん風に読んでいただきたい。出来れば「UKにィー行けェーいッ!」と付けていただきたい

*2:いやま、これも自分で見つけた訳ではないんだけれども